2019年1月5日、12日にテレビで放送された「名探偵コナン 紅の修学旅行」。
新一や蘭達が楽しそうに京都のいろいろな場所を巡っていましたが、コナンに出てくる場所は❝聖地❞と言われ
訪れる方が多いんです。
今回は「紅の修学旅行」に登場し聖地巡礼で外せない場所、「血天井」で有名な養源院に行ってきました。
養源院ってどんなところ?
御由緒によりますと、「豊臣秀吉の側室淀殿が父浅井長政の追善の為、長政の二十一回忌に秀吉に願って養源院
を建立しましたが、その後火災で焼失。」
「元和七年(1621年)2代将軍徳川秀忠の正室、崇源院(お江)が伏見城の遺構を用いて再建したのが今の本堂。
以来、徳川家の菩提所となり歴代将軍の位牌を祀っている。」とあります。
平成二十八年二月に本堂(客殿)・護摩堂・中門・鐘楼堂などが「国重要文化財」に指定されたとのことです。
養源院とは浅井長政の院号です。
淀殿は浅井長政と織田信長の妹で戦国一の美女といわれたお市との間に生まれた三姉妹の長女。
お江は秀吉の政略結婚に利用され徳川秀忠に嫁いだ三姉妹の三女で三代将軍家光の御生母、徳川の御台所(正室)
で唯一お世継ぎを産んだ方です。
仲の良かった姉妹は、後に大坂の陣で敵同士になってしまいます。
勝利したのは徳川方で、豊臣方の淀殿は息子の秀頼と自害してしまいます。
この時秀頼に嫁いでいたお江の娘・千姫は徳川方に助け出されています。
戦国の乱世は本当に複雑ですね。
姉の淀殿が開基した養源院を、姉亡きあとはお江が守ります。
落雷による火災で焼失した時はお江が再興するのですが、その時に伏見城の遺構の一部を移築します。
この移築された伏見城の一部が、有名な「血天井」です。
蘭が新一にしがみつきながら見ていた「血天井」
画像引用:わかさ生活
本堂は撮影禁止のため、他のサイトさんから画像をお借りしました!
養源院の今の本堂は伏見城の「中の御殿」から移築されたものです。
本堂の天井を見上げると、あちらこちらに黒々と血の跡があります。
1600年、徳川方と石田光成率いる豊臣方が戦っていました。
伏見城は徳川方の武将・鳥居元忠が約2000人の兵士と守っていたのですが、約4万人もの豊臣方の軍勢に敗れ
てしまいます。
必死に伏見城を死守していた鳥居元忠を筆頭に残った兵士は380人余り。
もはやこれまで・・・と残った兵士達は「中の御殿」に集まり自刃し、伏見城は落城しました。
鳥居元忠たちの遺体はそのまま2ヶ月ほど放置され、その時流れた血や脂などで顔や手、鎧の跡までが染みつい
てどれだけ拭いても落ちなかったそうです。
その自刃した廊下の板の間を天井にして弔ったとのことで、「血天井」といわれるようになりました。
養源院では住職や住職の奥様、ボランティアの方がいろいろ説明してくださるのを聞きながら見ていくのです
が、「血天井」の所では長い棒で指し示しながら説明してくれます。
「ここが顔、ここが腕、ここが片足はあぐらでもう片方が伸びている」などと説明してくれるのですが、本当に
見えるんですよ、顔がや全てがはっきり!
「紅の修学旅行」で、空手は強いけど怖がりの蘭ちゃんは思いっきり新一にしがみついています。
新一は喜んでましたけど♪
初めてみた時はちょうど鳥居元忠の真下だったんですけど、不謹慎ですが「鳥居元忠って超小顔!」って思って
しまいました。
ですが、戦のない時代が目の前まできていたのに見る事ができず乱世に散っていった方たちの事を思うと切なく
なります。
見どころ満載の養源院
養源院といえば「血天井」といわれるほど「血天井」が有名ですが、他にも見どころがたくさんあります。
俵屋宗達・狩野山楽
画像引用:わかさ生活
本堂に入るとお迎えしてくれる「唐獅子図」。
江戸の有名絵師・俵屋宗達の絵が杉戸に描かれています。
本堂の襖(十二面)杉戸(八面)のたくさんの絵は、自刃した武将や兵士の英霊を慰めるために「お念仏、御回向」
にちなんだ絵を画いたと入り口でいただいた養源院略由緒に書いてあります。
画像引用:わかさ生活
詳しく説明されたのですが、全部覚えられませんでした。
ですが、唐獅子の絵は西日が当たるように計算されて描かれたとか、片方を開けると奥にある白い像さんがお辞
儀してる方が見えるので、ようお参りくださったと画かれたのかもとか楽しく説明されてたのは覚えてます。
画像引用:わかさ生活
麒麟(キリン)はオスが麒(キ)でメスが麟(リン)って知ってた?って住職の奥様が教えてくれました。
当時無名だった俵屋宗達は養源院の杉戸に画いた絵で一躍有名になりました。
画像引用:わかさ生活
養源院にある宗達の絵は国重要文化財です。
俵屋宗達といえば国宝の「風神雷神図」が本当に有名ですね。
本堂の玄関を入って左側の牡丹の間には、狩野山楽が牡丹の折枝を散らした襖絵を描いています。
当時の襖絵はそのほとんどを狩野派が描いていました。
鶯張(うぐいすばり)廊下
本堂の廊下は江戸時代初期の伝説の彫刻職人・左甚五郎のうぐいす張りという作品で、そぉ~っと歩くほど音が
する廊下でキュッキュッと音がしてました。
伏見城に侵入した天下の大泥棒・石川五右衛門もこの廊下の音で見つかり御用、三条河原で釜茹でになっちゃっ
たと説明がありました。
日光東照宮の国宝「眠り猫」も左甚五郎の作品と伝承されています。
「菊」「葵」「桐」の御紋
徳川家の菩提所である養源院には、2代将軍秀忠~14代将軍家茂までの位牌が安置されています。
秀忠とお江の位牌をよ~く見ると、「菊」「葵」「桐」の御紋があります。
秀忠とお江の娘、和子が後水尾天皇に入内し天皇家と深く関りをもったため、天皇家の御紋「菊」がついていま
す。
「葵」は徳川家の御紋、「桐」は豊臣の御紋。
3つの御紋が並んで刻まれている位牌を見られるのは、日本中で養源院だけです。
御朱印
御朱印いただきました。
書置きされているのですが、印刷ではなく手書きされています。
日付をいれて授与していただけます。
本堂までの景色
山門(南門)を入ると本堂まで、真っすぐ緩い坂道の参道が続きます。
この日は5月ということもあり緑が綺麗でした。
右には白衣弁財天様、左には毘沙門天様をお祀りしていました。
国重要文化財の鐘楼堂です。
本堂の横にも、大聖歓喜天の石碑。
本堂には、秀吉が伏見城で厚く信仰しお祀りしていた大聖歓喜天が遷されているそうです。
手水舎の手水鉢ですが、お水がありませんでした。
2019年5月現在、工事中の場所がありました。
ちょうど帰るところだったボランティアの方が来られて、教えてくれました。
「ここが中門なんだけど、工事が大変らしくて長引いている」とのことです。
「詳しい事はわからないけど、重要文化財だから難しいみたい」と言ってましたが、国の重要文化財なら簡単に
は作り直せませんね。
その横には御神木がありましたが、台風で折れてしまったらしいです。
のんびり廻っていたら門が閉まってしまい、横の勝手口から出ました。
あまり出入りする経験がないので、時代劇っぽくてちょっと嬉しかったです。
小堀遠州作の池庭もあり、春には桜、秋には紅葉と美しい景色が広がります。
養源院基本情報
正式名 | 養源院 |
別名 | 血天井・宗達寺 |
山号 | 南叡山 |
宗派 | 浄土真宗遣迎院派 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
創建 | 文禄3年(1594年) |
開基 | 淀殿・成伯(開山) |
拝観料 | 500円 |
拝観時間 | 9:00~16:00 |
所在地 | 〒605-0941 京都市東山区三十三間堂廻り町656 |
TEL | 075-561-3887 |
アクセス | 京都駅から市営バス「博物館三十三間堂前」下車 |
養源院まとめ
とても歴史を感じる寺院でした。
戦国の乱世、関ヶ原の戦いの前哨戦といわれる伏見城の戦いで散った命。
そして、乱世に翻弄された女性たちの計り知れない思いを、静かに弔っている寺院です。
「紅の修学旅行」の中で「血天井」を見て怖がる蘭に新一が言いました。
「戦死者を弔うために天井に掲げたんだから、ちゃんと見て冥福を祈らねぇと」・・・。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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